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恋愛に臆病になってしまうおもな原因は、「裏切られるのが怖い」ということです。
恋人に突然振られたり、浮気をされたりして、「こんなつらい思いをするくらいなら、恋愛などしないほうがましだ」と悲観してしまうのです。

この「裏切られた」という思いには、大きく分けてふた通りの前提があります。
「私を愛していると言ったくせに、その約束を守らなかった」
「せっかく私が愛してあげたのに、それに応えてくれなかった」
言い換えれば、ひとつ目は「相手に愛を強要すること」、ふたつ目は「自分の愛を押しつけること」です。
どちらにしても、「嫌われたくない、認めてほしい」という自分の欲求が先にあったことが判ります。
裏切られる不安をなくすための第一の方法は、自分の欲求を相手に押しつけないことです。

といっても、馬鹿正直なお人好しになればよいというのではありません。
愛は与えるものだと言いますが、実際、人間関係は「ギブ?アンド?テイク」で成り立っているものであり、どちらか一方が我慢をする関係というのは、長続きしません。
「してあげること」と「してもらうこと」のバランスがとれているのが、健全な関係と言えるでしょう。
重要なことは、「してあげること」「してもらうこと」に対する心構えです。
他人を信じるとは、自分の相手との付き合い方の姿勢を明確にすることなのです。

恋人を信頼できず、携帯電話を盗み見たり、いちいち怪しい行動を問いつめたりしてしまう人は、「いっさいの疑念が払拭できれば、信じることができる」と考えているのかもしれません。
「信じるために、疑う」という矛盾することをしているわけです。
しかし、他人を疑えば疑うほど、「巧妙にごまかしているのではないか」と、ますます疑いは強まってしまうものです。

「他人を信じたいが、裏切られるのが怖い」と悩んでいる人にとっての「信じる」ということは、「相手が自分の思い通りになることを要求する」ことにすぎないのです。
「他人に振り回されてばかりいる」というのは、実は、「他人を思い通りにしようとする自分の利己心に振り回されている」のです。

「私は相手のために尽くしてきたのに、裏切られた」と嘆く人は、「私だけが犠牲になって、損をした」と思っているのでしょう。
相手の言うことは何でもきいてあげたし、喜ぶことは何でもしてあげた……。しかし、そもそも「そうしてまでも相手に好かれようとした」のは自分です。
「してあげたこと」が、相手を思いやる優しさからではなく、自分が好かれるための手段にすぎなかったから、報われなければただの骨折り損だとしか思えないのです。
相手に傷つけられる前に、「私は、そこまで自分を犠牲にしなければ相手に受け入れてもらえない人間である」と、自分で自分をおとしめていたのです。

また、「相手が~してくれなかった」と嘆く人は、そもそも、相手を「自分にとって役に立つ人間か、どうか」という目でしか見ていなかったのです。
相手に裏切られる前に、自分も相手をあなどっていたのですから、文句は言えません。

本当に他人を「信じる」ということは、自分の利害を離れて、相手の心と向き合い、相手がどういう人間であるかを理解するということです。
心から信じれば、だまされることはありません。信じれば信じるほど、相手の嘘を見抜けるようになります。
いえ、「嘘を見抜く」などといういやらしい言い方をしなくても、他人の心とまっすぐに向き合えば、嘘は自然に見えるようになるのです。

「相手が信頼できる人間か、どうか」ということは、相手の人間性のみによって決まるものではなく、自分との関係の中でつくられていくものです。
他人を心から信頼すれば、相手はそれに応えようとします。
他人を疑えば疑うほど、相手は自分を裏切るようになります。
自分が信じることによって、本当に信頼し合える関係を築くことができるのです。

もともとだますつもりで近づいてきた人でも、心から信頼されれば、たいていの場合は、「この信頼を裏切るわけにはいかない」と思い、心を改めるか、そっと離れていくことでしょう。
中には、それでもだまそうとする心ない人間もいるかもしれませんが、そんなちっぽけな人間のできることなど、たかが知れています。
こちらから何かを押しつけたり、相手に要求したりしなければ、何も失うものはないのです。

孔子は、「論語」の中で、「他人が自分を判ってくれないことを気にかけないで、自分が他人を理解していないことを気にしなさい」と言っています。
他人に裏切られてしまうのは、相手を理解しようともせず、自分を押しつけてしまうからです。
信頼は、まず相手を理解することからはじまります。
「裏切られるのが怖いから、他人を信じられない」というのは、間違っています。
信じる人は、だまされないのです。

    相信就不会被骗

在爱情里变得胆小的原因是因为“害怕背叛”。

担心被恋人忽然分手,忽然劈腿,就会悲观地想“让人这么痛苦,倒不如不恋爱好了”

 

认为“被背叛”大概可以分成两类前提。

“明明说爱我,却不遵守承诺。”

 

“我这么爱你,却得不到相应的回报。”

换句话说,第一种是“强求对方的爱”,第二种是“将自己的爱强加于人”。


不管哪一种,都是以“不希望被讨厌,想被认可”的自己的欲望为先。

消除担心被背叛的第一个方法是,不要将自己的欲望强加于对方。

 

虽然这么说,并不意味着做“老好人”。

虽说爱是给与的,但是实际上人际关系是通过“给与与索取”才能成立。任何一方忍耐,这样的关系是不能长久的。

 

“给与”和“索取”的协调平衡,才能说是健全的关系。

重要的是对“给予”与“索取”做好心理准备。

 

相信他人,是要明确与对方交往的姿态。

无法相信恋人,偷偷地查看电话,审问可疑的行为,这样的人说不定是想着“能消除所有疑点的话,他才可信。”

矛盾所在就是“为了相信而怀疑”。

但是,越是怀疑他人,就越是会想着“是不是在巧妙地糊弄我?”,就越是强化怀疑。

 

对于苦于“想相信别人,但是害怕被背叛”的人来说,信任不过是“要求对方按自己所想那样做”而已。

“被别人糊弄”实际上是“顺他人心被自己的利己心糊弄”而已。

 

感叹着“我为了他付出了这么多,可是却被背叛了”的人说不定是想着“就我一个人做牺牲,真吃亏。”

只要他说的我都听,只要他高兴我都为他做……但是实际上,自己是想着“这样做的话他就会喜欢我”。

 

因为这种“付出”不是为他着想、对他好,而是为了让他喜欢自己,这样的话,如果没有回报,只会觉得白费苦心。

 

在被对方伤害之前,就会变成“如果我不作出这样的牺牲的话就不能被他接受”,这是对自己的贬低。

还有,感叹“对方不付出”的人,肯定只是着眼于对方“对我来说是不是个有用的人”。


真正想相信他人,就应该理解这一点——抛下自己的利害关系,与对方的心面对面,判断对方是怎样的人。

打心里相信是不会被骗的。越是信任就越容易看穿别人的谎言。

 

不,不必用“看穿谎言”这种令人厌恶的说法,只要与他人心心相印,自然而然就能看出谎言。

“对方是不是可信赖的”不是由对方的品性决定,而是和自己的关系中建立建立起来的。


从心里相信别人,对方也会相信你。

越是怀疑别人,就越容易被背叛。

 

自己的信任,能建立真正的相互信任关系。

即使本来就打算欺骗来接近从你的人,如果打心里相信他的话,很多情况下会想“不能背叛这种信赖”,于是可能会改变想法,悄悄离开。当中当然也会有欺骗你的人,但是这样渺小的人能做出的事没什么了不起的。


不强迫要求对方就不会失去什么。

子曰,不患人之不知己,患己不知人也。

 

之所以被他人背叛,是因为自己不理解他人,强求自己的结果。

信赖,首先从理解他人开始。

 

“害怕背叛,所以无法相信别人”这种想法是错的。

相信他人的人是不会被骗的。

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