翰文名人 专家一览 点评达人 翰文之星 原文库 译文库 全部项目 翰文网事 年度奖励计划
"输出型"翻译学习的倡导者 每个人都可以成为翻译家!
原文译文对照
原文译文对照

返回译文



宇治の歴史性や品格にふさわしい
情緒あふれる朱塗りの反(そり)橋

日本最大の湖である琵琶湖(びわこ)には119本もの河川が注ぎ込んでいるが、琵琶湖から流れ出る河川は瀬田川だけで、その瀬田川は京都府に入るあたりで、「宇治川」と名を変える。

宇治川はやがて、京都と大阪の府境で桂川?木津川と合流して「淀川」になるため、宇治川としての長さは25kmほど。

ただし、河川法の上では「宇治川」の名を持つ河川は存在せず、「淀川中流部」の通称が「宇治川」ということになる。

にもかかわらず、宇治川の名の響きが人々を惹(ひ)きつけるのは、宇治川が育んできた風土や歴史文化が、日本人の普遍的な精神性を、そこはかとなく感じさせてくれるからだろう。

宇治には、「古都京都の文化財」としてユネスコの世界文化遺産に登録された、平等院と宇治上神社が存在する。

藤原一族の栄華を今に伝える平等院は、藤原頼通(よりみち)が平安時代中期に父から伝領した別荘を寺に改め、阿弥陀堂鳳凰堂(ほうおうどう)を建立して阿弥陀座像を安置したことに始まる。

その平等院の鎮守社としても長く崇拝されてきた宇治上神社は、本殿が「現存する日本最古の流造(ながれづくり)の神社建築」として知られ、拝殿とともに国宝にも指定されている。

平等院は宇治川の西岸、宇治上神社は東岸に位置するため、双方に参拝するには、宇治川の中州である「中の島」(「塔の島」と「 橘(たちばな)島」の総称)を経由するのが近道となるが、この中の島には、風情に満ちた三本の橋が架かっている。

一番上流で西岸と塔の島を結んでいるのが喜撰橋、同じく西岸と橘島を結ぶのが橘橋、そして、中の島から東岸に渡ることのできる唯一の橋が、朝霧橋である。

喜撰橋は1912(明治45)年、橘橋は1950(昭和25)年、朝霧橋は1972(昭和47)年の完成だが、喜撰橋が架けられるまで、中の島に船で渡ろうとする人はごくごく限られていた。

ところが1907(明治40)年頃に、1756(宝暦6)年の大洪水で倒壊水没していた浮島十三重石塔が、宇治川の川底から発見され、塔の島に再建された。これを新たな観光名所にするための整備事業の一環として、喜撰橋が架けられたのだ。

鎌倉時代の高僧?叡尊(えいそん)が宇治川での殺生を戒めようと建立した浮島十三重石塔は、現存する石塔としては日本最大にして最古のもので、国の重要文化財にもなっている。

私見ではあるが、「喜撰橋」の橋名は、平安時代の「六歌仙」の一人である、喜撰法師に由来すると思われる。

喜撰法師が詠んだ「わが庵は都の辰巳しかぞすむ世を宇治山と人はいふなり」の一首は、『小倉百人一首』に選歌されて宇治の名を広く世に知らしめ、宇治茶の銘柄名としても、「喜撰」の名が用いられるようになった。

架橋当初の喜撰橋は欄干もない素朴な木造橋だったが、1953(昭和28)年の大洪水で流出後、数次の改修が施され、1968(昭和43)年にはついに、水害に強いコンクリート橋となった。

さらに、1984(昭和59)年の宇治川河川改修にともない、喜撰橋はようやく現在の構えを得たが、朱塗りの反り橋に擬宝珠(ぎぼし)や桁隠しを備えたその姿は、宇治ならではの歴史性と品格にふさわしい、情緒あふれる景観をかもし出している。

中の島で記念写真を自撮りしたい方は、後景に浮島十三重石塔を配して喜撰橋に佇(たたず)めば、納得の一枚が撮れるはずだ。
和宇治历史与品格相称
充满风情的朱红色拱桥

日本有119条河流汇入最大的湖泊琵琶湖,但从琵琶湖流出的河流却只有濑田川一条,这条濑田川进入京都府之后就更名为了“宇治川”。

宇治川最终在京都和大阪的交界处与桂川及木津川汇流变成“淀川”,因此宇治川的长度只有25公里左右。

但是,河流法中不存在名为“宇治川”的河流,通常称为“淀川中流部”的就是“宇治川”。

尽管如此,宇治川的美名之所以能吸引人们,是因为宇治川孕育出的风土人情及历史文化,让人隐约感受到了日本人普遍的精神性。

宇治拥有作为“古都京都的文化遗产”而被联合国教科文组织列为世界文化遗产的平等院和宇治上神社。

如今依然展现着藤原一族繁荣昌盛的平等院,是藤原赖通在平安时代中期将他从父亲那里继承的别庄改建成寺庙,修建阿弥陀堂凤凰堂并安放阿弥陀座像而开始起源。

作为平等院的守护神社长期受人崇拜的宇治上神社,其本堂作为“现存日本最古老的流造神社建筑”而闻名于世,与前殿一起被指定为国宝。

由于平等院位于宇治川的西岸,宇治上神社位于东岸,因此想要到两处参拜,经由宇治川的河中沙洲“中之岛”(“塔之岛”和“橘岛”的总称)是最快的捷径,所以这座中之岛上架设着三座充满风情的桥。

在最上游连接西岸和塔之岛的是喜撰桥,同样连接西岸与橘岛的是橘桥,而唯一能从中之岛渡向东岸的桥是朝雾桥。

喜撰桥于1912(明治45)年建成,橘桥于1950(昭和25)年建成,朝雾桥于1972(昭和47)年建成,在喜撰桥完工之前,很少有人乘船渡向中之岛。

然而1907(明治40)年左右,在宇治川的河底发现了在1756(宝历6)年的大洪水中被冲毁的浮岛十三重石塔,因而重现修建了塔之岛。作为使该地变成全新的观光景点而开展的配套建设,建造了喜撰桥。

镰仓时代的高僧叡尊为了劝诫勿在宇治川杀生而建造的浮岛十三重石塔,是现存日本最古老且最大的石塔,也是国家的重要文化遗产。

我个人认为,“喜撰桥”这一桥名,与平安时代“六歌仙”之一的喜撰法师有关。

喜撰法师咏诵的和歌“我居城东南,闲静且悠然。听闻人传言,厌世入深山。世事何所惧,自在随心安。世人何其愚,空为他人叹。”入选《小仓百人一首》使宇治之名广为世人所知,因此宇治茶的品种名也使用“喜撰”之名。

最初建造的喜撰桥是连栏杆也没有的朴素木结构桥梁,因1953(昭和28)年的大洪水冲毁后,经历了数次改造,在1968(昭和43)年变成了能抵御水灾的混凝土桥。

此后,随着1984(昭和59)年的宇治川河流整治,喜撰桥终于变成了现在的构造,朱红色的拱桥上饰有宝珠装饰和隐藏桁条盖板的样子,和宇治特有的历史性及品格相得益彰,融合出充满风情的景观。

如果您想在中之岛拍摄一张纪念照,可以站在以浮岛十三重石塔为背景的喜撰桥上,一定能够拍出令你满意的照片。


翰文网微信公众号每日推荐译者精彩译作

关于我们|本站声明|隐私权保护规则|帮助中心

Copyright@ 2013 www.cnposts.com 京ICP备16040216号-2 京公网安备110107000042

本站保留所有权利未经许可不得转载 本站刊载的所有文章仅代表作者(译者)本人观点 不代表本站立场

"输出型"翻译学习的倡导者---每个人都可以成为翻译家

我要啦免费统计