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标题:贯彻现场中心主义原则 谨记先辈教诲

  • 为狂 散步者
  • 加入时间:2010-10-10 积分:70

本文于 2012-05-06 17:53 提交 | 评分:20 | 已有 522 人浏览

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常听人说我的父辈渡边宝创立的壹番馆服装店经常受到名人的光顾。但是我认为重要的不是顾客的地位。如果我们的客人非常注重自身的潇洒气质,对本公司发展而言就是极大的贡献。能有这样的顾客就是本店最大的骄傲。

(现在的YANASE)公司已故的梁濑次郎会长曾经对我说道:“希望能为我们的汽车买主提供与车身颜色相匹配的服装”。另外已故的原首相三木武夫在石油危机期间鼓励大家振兴全国经济时候曾经对我说过:“就拜托你们去生产舒适合身的服装了”。

我们的所有的顾客严格来说注重自身的形象是为了代表职场或者公司,而非为了个人。如果大家正是因为穿上壹番馆的服装而能心怀喜悦之情专心工作,这就是我们最大的收益。这就是我们订做服装而不生产成品服装的原因。能够给顾客提供符合自身个性的服装是父亲创立壹番馆的根本。

父亲本是个手艺人,是个艺术家,却让我上了大学。这就是过去常说的“高等教育”。当时在东京的涩谷、新宿、池袋作为“后起之秀”迅速崛起、银座悄然没落的时代背景下,银座的先辈们对“子嗣的教育”投入了大量的时间和金钱。就这样我进入庆应义熟大学学习,之后到英国洋裁学校留学,视野也随之开阔许多。

1977年继任社长一职之后,我自称“店主”。不是作为一个经营者,而是要作为一名彻头彻尾的商人。通过推行效率化和合理化来贯彻现场中心主义的原则。

首先、作为店长要倾听顾客的声音。因为要和顾客有长时间的交往,所以顾客的体形以及健康状况之类的细微变化都要理解。顾客的身板纸型就是绝对的个人信息。在公司内部的话,我会努力提高手艺人的地位。手艺人是很羞涩的,不知世间之事。他们中间也有残疾人。我记得有一次带他们去海水浴,当时他们很兴奋的对我说:“大少爷、这是我们生来第一次见到大海”。这是最让我高兴的一件事之一。

因为经济不景气,我所担任理事长的“银座百店会”的会员数也在逐年减少。但是在银座这个地方值得幸运的是,即使减少一个人也立刻会有下一个人补上这个空缺。银座在先辈们的努力下,从1872年的大火灾和1923年的关东大地震中复兴,变成如今的既安全又安心的地区。

我在看了NHK的大河剧《天地人》之后若有所思。我们这些后辈正是凭借银座店铺的信用(字号)这片“天”、银座这片“地”、还有顾客以及职工这些“人”才能开展业务。秉承这样一个历史和前辈的教诲正是“银座先辈”的意志的一个继承。

2月份我已经把社长一职让给了我儿子。我们这些“银座的老头子”对下一代的期望就是“长一副倾听的耳朵”。希望他们能理解代代相传的“心的技巧”,谨记先辈的教诲和历史。所谓“心的技巧”就是“一颗关怀的心”。这是我的做法。

当今的经济不景气在某种意义上来说或许是一个好的时代。为什么这么说,那是因为“象征先辈颜面的店面”已经生存下来了。据说在银座,自创业起能经营60年就会被称为专业店面,80年的话就是老铺,100年的话就会是好店了。本店马上就要到80年了。在变为“好店”之前,我想还是好好珍惜现在的招牌和信用吧。(原文摘自《日经商务》杂志2009年6月29号刊) 译者联系方式1248824717@qq.com

<日文原文>

「現場第一主義」を貫き、先達の教えを大切に
 
 先代である父、渡辺寶が1930年に創業した洋服店は、著名人にご愛顧いただいているとよく言われます。しかし重要なのは、お客様の肩書ではありません。ご自身がお洒落に気を使い、それが会社の発展に寄与する。そういうお客様に支えられていることが、当店の誇りなのです。
 自動車(現ヤナセ)の故·梁瀬次郎会長は「これから売りたい車、皆さんに乗ってもらいたい車の色に合う服を仕立ててほしい。」とおっしゃいました。また故·三木武夫元首相は、石油ショックなどで気の張る仕事をしておられた頃に、「肩の凝らないを頼むよ」と言われました。
  お客様は皆、個人ではなく職場や会社を代表するお洒落をなさる。壹番館の服を着ることで気持ちが豊かになって仕事に専念でき、本業のプラスになる。これが、既製服でなく注文服を作るということです。お客様のストーリに合わせて洋服を仕立てる店として、父は壹番館を創業したのです。
 父は職人で芸術家でしたが、2代目の私は大学に行かせてもらいました。に言えば「高等教育」です。当時の東京で渋谷、新宿、池袋がターミナル街として注目され、「銀座は衰退する街」と叩かれた時代に、銀座の先代たちは「跡取りの教育」に時間とお金を割いたのです。こうして慶応義塾大学に進学し、英国の洋裁学校に留学することで、視野が広がりました。
 1977年に社長を継いでから、私は自分を「店主」と呼びました。経営者ではなく、あくまで商人です。効率化、合理化を進めるより、現場第一主義を貫きました。
 まずは、店主としてお客様の声に耳を傾ける。お客様とは長いお付き合いですから、体形や健康状態の変化まで分かります。お客様の型紙は、まさに個人情報なのです。社内では職人の地位向上に努めました。職人はシャイで、世間をあまり知らない。体の不自由の人もいました。彼らを海水浴に連れて行き、「若旦那、生まれて始めて海を見ました」と喜んでくれたことが何よりうれしかったです。
 不況といわれ、私が理事長を務める「銀座百店会」の会員数も年々減っています。しかし銀座が幸せなのは、1人減ってもすぐに次の人が来ることです。銀座は先達の努力によって明治5(1872)年の大火事や大正12(1923)年の関東大震災から復興し、美しく安全で安心な街になりました。
 NHKの大河ドラマ「天地人」を見て、思います。私たち跡取りは、店の信用(のれん)という「天」、銀座という「地」、お客様や従業員という「人」をいただいて、仕事をさせてもらっている。こうした歴史と先輩の教えを守り伝承していくのが「銀座の旦那たち」の意地なのです。
 2月に息子に社長職に譲りました。私たち「銀座のおやじ」が次の世代に望むのは、「聞く耳を持て」ということです。代々継がれる「心の技」を理解し、先輩の教えと歴史を大切にしてほしい。「心の技」とは「おもてなしの心」。それは私の流儀です。
 不況の今は、ある意味ではいい時代かもしれません。なぜなら「主人の顔が見える店」は生き延びるでしょうから。銀座では創業60年で専門店、80年で老舗、100年になると「好店」と言うそうです。当店はまもなく80年。好店と呼ばれるまで、今の看板と信用を大切にしたいと思います。(「Nikkei Business」2009年6月29日号より)

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