それに、一口に“家族”と言っても、現代ではさまざまな形があります。子供のいる夫婦、いない夫婦。母子家庭、父子家庭。両親が異性ではなく同性。虐待児童を養子に迎える。ひとりの子を複数の夫婦が協力して育てる。非血縁者同士がシェアハウスで共同生活を送る……。

“家族”の形が多様になるなかで、「血のつながった家族」だけしか法的な保護やサービスを受けられないような狭量な社会は、早晩さびれていくでしょう。

(c)2018フジテレビジョン ギャガ AOI Pro.

「家族は、互いに助け合わなければならない」

翻って日本の現状はどうでしょうか。たとえば、自民党の「日本国憲法改正草案」は、家族と婚姻の基本原則を定めた憲法24条について、以下の内容を書き加えるとしています。

「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」

ここでの家族とは、夫婦とその血縁関係者のことです。しかし、婚姻関係または血縁関係のある人だけを「自然かつ基礎的な単位」と憲法で定めてしまうことには、さまざまな議論があります。また、血縁関係のある家族だからといって、助け合えるかどうかはわかりません。両親や配偶者から、虐待やDVなどを受けている例はたくさんあります。憲法改正で「助け合わねばならない」と義務づけることは、そうした人の不安を助長するはずです。

従来型の家族の形は尊重されるべきですが、それ以外の家族の形も等しく社会に認められてしかるべきではないでしょうか。しかし、旧来型の家族の形を「自然かつ基礎的な単位」とする主張は、日本社会に根強くあります。

「新郎新婦は必ず3人以上の子供を産んでほしい」

奇しくも『万引き家族』公開の前後に、自民党の2人の国会議員によるそうした主張が物議を醸しました。加藤寛治衆院議員は5月10日の会合で、「結婚披露宴などの席で『新郎新婦は必ず3人以上の子供を産んでほしい』と呼びかけている」と発言。6月26日には二階俊博幹事長が講演で「子どもを産まないほうが幸せじゃないかと、勝手なことを考えている人がいる」と発言しました。

もちろん2人の発言には前後の文脈がありますから、この言葉だけを取り上げて非難するのはフェアではありません。ただ、文脈を踏まえたとしても、この発言に違和感や疎外感を抱いた人は相当数いたはずです。

『万引き家族』は、そうした違和感や疎外感を、野暮むき出しの政治的主張ではなく、一流の役者の一流の芝居をもって代弁しました。同作が多くの観客の胸を打った理由は、そんなところにもあるのです。

「母」を偽装していた信代役?安藤サクラさんの名演

是枝監督は前出「中央日報」のインタビューで「同じ政権がずっと執権することによって私たちは多くの希望を失っている」とも語りました。また、同じく前出のブログでは、「祝意」を辞退する理由として「映画がかつて、『国益』や『国策』と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば、大げさなようですがこのような『平時』においても公権力(それが保守でもリベラルでも)とは潔く距離を保つというのが正しい振る舞いなのではないかと考えています」としたためました。

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政権与党が作った改憲草案24条によって一方的に規定される「あるべき家族の形」と、『万引き家族』が示した「家族ではない者たちが肩を寄せ合うことの美しさと幸せ」。両者の間には確かに「潔い距離」が保たれています。

『万引き家族』はラスト30分に差しかかったあたりから、偽家族の一人ひとりが心情を吐露していきます。そのひとり、一家の「母」を偽装していた信代役?安藤サクラさんの名演には、誰もが心を奪われたと思います。

興行的な成功は「多様性の受容機運」を示している

血縁の意味とは何か、母親の資格とは何なのか。筆者はこの映画を2回観ましたが、安藤サクラさんのシーンでは2回とも、文字通り息をするのを忘れ、瞬きすらはばかられました。「血縁による家族が助け合うのが当たり前」「夫婦は子供を作るのが普通」と主張する人たちは、このシーンを観て一体何を思うのでしょうか。

『万引き家族』は決して口当たりのいい内容ではありません。観ていて胸が苦しくなりますし、執拗な辛気臭さや現実社会との高すぎる接続度に、ウンザリする人もいるでしょう。しかし、ヒットシリーズの続編や人気原作の映画化が興収ランキングの上位を占めがちな日本の映画市場で、このような作品が興行的な成功を収めるのは、「多様性の受容機運」を示しているようで実に喜ばしいことではないでしょうか。

その意味で、『万引き家族』の“30億超え”は盤石の人気シリーズによる“50億超え”の何倍も価値がある、と思います。