翰文名人 专家一览 点评达人 翰文之星 原文库 译文库 全部项目 翰文网事 年度奖励计划
"输出型"翻译学习的倡导者 每个人都可以成为翻译家!

原文

  • 枫凌 推荐于 2018-06-03 11:44
  • 原文语言:日文
  • 所属分类:思想

「傘かしげ」や「こぶし腰浮かせ」などの「江戸しぐさ」。「江戸時代の商人たちのマナーだった」などと喧伝されているが、歴史的証拠はなく、偽史である。だがそうした行為には価値があるとして、信じ続ける人もいる。累計47万部のベストセラー『応仁の乱』(中公新書)の著者?呉座勇一氏は、新著『陰謀の日本中世史』(角川新書)で、そんな陰謀論を徹底的に論破している。なぜ偽史はしぶとく生き残るのか。その理由を聞いた――。(前編、全2回)/聞き手?構成=稲泉 連

累計47万部のベストセラーの次は「陰謀論」

――一昨年10月に出版された『応仁の乱』(中公新書)は累計47万部のベストセラーになりました。今回、次の作品である『陰謀の日本中世史』(角川新書)では、日本中世史における「陰謀論」がテーマです。どうしてこのテーマを選んだのでしょうか。

実はこの『陰謀の日本中世史』は、『応仁の乱』と並行する形で進めていたテーマなんです。

本能寺の変には黒幕がいた、関が原の戦いは徳川家康が仕組んだ……。そういった陰謀論は今も昔も、歴史学の研究者がほとんど近寄ろうとしない分野です。

歴史学の世界で陰謀論が相手にされてこなかったことには、いくつかの理由があります。例えば、本能寺の変には黒幕説がたくさん存在する。しかし、本能寺の変が明智光秀の単独犯行ではなく、黒幕や共犯者がいたという説を唱えている人は、学界では1パーセント以下でしょう。それこそほぼ全員が単独犯行だと考えているんですね。

つまり学界の研究者は、黒幕説なんて端から成り立つわけがないという見通しを持っている。あり得ないと分かっているにもかかわらず、陰謀論を批判するためには該当する本を読みこまねばなりません。何ら新しい学問的な成果が得られないことに対して、そのような労力を費やすのは時間の無駄。それが「大人の態度だ」という気持ちを、歴史研究者は多かれ少なかれ持っているんです。

本能寺の変の唯一の謎は、明智光秀の動機

そもそも「本能寺の変」には謎があると言うけれど、歴史学にとって重要なのは、いつ、誰が、どこで、何をしたかです。「天正10年6月2日に明智光秀が本能寺で織田信長を討った」という事実が確定しているのですから、本来、学問的にはそれ以上の議論を必要としていない。

確かに本能寺の変にとっての唯一の謎は、明智光秀の動機でしょう。なぜ彼は謀反を起こしたのか。それは今も分からないままです。

ただ、歴史研究の観点から言えば、光秀の動機はどうでもいい。もし光秀が本能寺の変の後、天下を取って国づくりをしたのであれば、彼の謀反の動機には歴史学的な意味が生じたかもしれません。たとえば「光秀はこれこれこういう政治信念に基づき信長に対して謀反を起こした。だから、全国統一後、このような政治を行ったんだ」といった風に。

しかし、光秀はすぐに豊臣秀吉に討たれてしまうため、その動機が恨みであろうが、権力欲であろうが、将軍足利義昭から命令されたのだろうが、はたまたイエズス会が裏で暗躍していようとも、後世の歴史には何ら影響を与えません。

光秀自身が内面を語った記録を残していない以上、彼の抱えていた「心の闇」など究極的には誰にも分からないし、分かったところで日本の歴史の長い流れには関係ない。それが歴史学の研究者の立場から見た本能寺の変です。

歴史学者として「大人の態度」をとるだけでいいか

ただ、私が今回、それにもかかわらず陰謀論をテーマに本を書いたのは、現代を生きる歴史学者は、果たしてそのような態度をとるだけでいいのだろうか、という問題意識があったからでした。

歴史学界が陰謀論を相手にしないのは、確かに「大人の態度」と言えばそうかもしれません。しかし、その結果として学界の常識と世間の常識が、大きく乖離してしまっている気がしているんです。

本能寺の変の黒幕説や共犯者説は、学界では全然信じられていません。ところが、世間では「黒幕がいたんでしょ」という話がまことしやかに囁かれ、実際にその説を唱えた本がベストセラーにもなっている。そうしたギャップが、近年は放置できないほどに深刻化しているように見えます。テレビや出版社が無責任に珍説を紹介するのが最大の要因だと思いますが、学界の人間がこれまで陰謀論、特に前近代のそれを黙殺し、問題点を指摘してこなかったことにも原因があるのではないでしょうか。

「江戸時代の商人たちのマナーだった」という偽史

少し前に話題になった「江戸しぐさ」という偽史も同じです。江戸しぐさとは、「傘かしげ」や「こぶし腰浮かせ」など、「江戸時代の商人たちのマナーだった」として、2000年代に広く知られるようになりました。ところが江戸時代に実在していたという歴史的証拠はなく、偽史であることが判明しています。

江戸しぐさが話題になった時も、学界の反応はとても鈍いものでした。飲み会の席で「変なことを言っている人がいるね」と酒の肴にするくらいで、誰も相手にしていなかったのです。「太平洋戦争はコミンテルンの陰謀だ」と主張した田母神論文に対する強い反発とは雲泥の差でした。

現代は、以前であれば相手にする必要もなかった偽史や陰謀論が、インターネットを通して一気に広まる時代です。実際の歴史的事実とは異なることが、あたかも実際のように誤解される状況が増えています。江戸しぐさに至っては小学校の道徳の教科書にまで掲載されてしまい、私はかなり大きなショックを受けました。自分たちがしっかりとメッセージを出していれば、そうした事態が防げたかもしれない、と。

私たちは「これが正解だ」に飛びついてしまいがち

もちろん研究者にとって、自らの研究を進めることは何よりも優先したいことです。しかし、だからといって学界の中でだけ真実が分かっていればよい、世間で俗説が信じられていても問題はない、という態度を取り続けるのは悪しきエリート主義であり、それではいつか歴史研究者が社会性を失ってしまうことにもなりかねません。よって誰かが陰謀論についても、世間とアカデミズムの世界をつなぐ役割を果たさなければならない。

膨大な情報に誰もがアクセスできる今の時代には、何が正しく、何がフェイクかを取捨選択する能力が求められています。常に真偽を見極めなければいけない状況は、人々に強いストレスを与えます。

ゆえに、「これが正解だ」と分かりやすく提示してくれるものに、私たちはどうしても飛びついてしまいがちです。だからこそ、分かりやすい陰謀論にも、研究者の側が異議申し立てをしなければならない――そう思ったのが陰謀論をテーマにした第一の理由です。

「歴史というものを過度に単純化して捉えてはならない」

また、『応仁の乱』と陰謀論というテーマを私が同時に進めていたのは、その二つに取り組む上での問題意識に共通するものがあったからでもありました。『応仁の乱』と『陰謀の日本中世史』はかなりスタイルの異なる本ですが、通底しているのは「歴史というものを過度に単純化して捉えてはならない」という問題意識です。

陰謀論とは要するに、本来は複雑なものを単純化しようとする発想の中で生まれてくるものです。『応仁の乱』もまた、複雑なものはどう描こうとしても複雑なのであり、それを「5分でわかる応仁の乱」にするのはウソをつくのと変わらない、という思いで書いた一冊です。その意味でこの2冊は、同じ根っこを持つ作品だと私は捉えています。(後編に続く)

本文还没有人翻译

 

关于我们|本站声明|隐私权保护规则|帮助中心

Copyright@ 2013 www.cnposts.com 京ICP备16040216号-2 京公网安备110107000042

本站保留所有权利未经许可不得转载 本站刊载的所有文章仅代表作者(译者)本人观点 不代表本站立场

"输出型"翻译学习的倡导者---每个人都可以成为翻译家

我要啦免费统计