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  • 枫凌 推荐于 2018-05-13 09:49
  • 原文语言:日文
  • 所属分类:生活
此原文由 旅游 推荐


宇治の歴史性や品格にふさわしい
情緒あふれる朱塗りの反(そり)橋

日本最大の湖である琵琶湖(びわこ)には119本もの河川が注ぎ込んでいるが、琵琶湖から流れ出る河川は瀬田川だけで、その瀬田川は京都府に入るあたりで、「宇治川」と名を変える。

宇治川はやがて、京都と大阪の府境で桂川?木津川と合流して「淀川」になるため、宇治川としての長さは25kmほど。

ただし、河川法の上では「宇治川」の名を持つ河川は存在せず、「淀川中流部」の通称が「宇治川」ということになる。

にもかかわらず、宇治川の名の響きが人々を惹(ひ)きつけるのは、宇治川が育んできた風土や歴史文化が、日本人の普遍的な精神性を、そこはかとなく感じさせてくれるからだろう。

宇治には、「古都京都の文化財」としてユネスコの世界文化遺産に登録された、平等院と宇治上神社が存在する。

藤原一族の栄華を今に伝える平等院は、藤原頼通(よりみち)が平安時代中期に父から伝領した別荘を寺に改め、阿弥陀堂鳳凰堂(ほうおうどう)を建立して阿弥陀座像を安置したことに始まる。

その平等院の鎮守社としても長く崇拝されてきた宇治上神社は、本殿が「現存する日本最古の流造(ながれづくり)の神社建築」として知られ、拝殿とともに国宝にも指定されている。

平等院は宇治川の西岸、宇治上神社は東岸に位置するため、双方に参拝するには、宇治川の中州である「中の島」(「塔の島」と「 橘(たちばな)島」の総称)を経由するのが近道となるが、この中の島には、風情に満ちた三本の橋が架かっている。

一番上流で西岸と塔の島を結んでいるのが喜撰橋、同じく西岸と橘島を結ぶのが橘橋、そして、中の島から東岸に渡ることのできる唯一の橋が、朝霧橋である。

喜撰橋は1912(明治45)年、橘橋は1950(昭和25)年、朝霧橋は1972(昭和47)年の完成だが、喜撰橋が架けられるまで、中の島に船で渡ろうとする人はごくごく限られていた。

ところが1907(明治40)年頃に、1756(宝暦6)年の大洪水で倒壊水没していた浮島十三重石塔が、宇治川の川底から発見され、塔の島に再建された。これを新たな観光名所にするための整備事業の一環として、喜撰橋が架けられたのだ。

鎌倉時代の高僧?叡尊(えいそん)が宇治川での殺生を戒めようと建立した浮島十三重石塔は、現存する石塔としては日本最大にして最古のもので、国の重要文化財にもなっている。

私見ではあるが、「喜撰橋」の橋名は、平安時代の「六歌仙」の一人である、喜撰法師に由来すると思われる。

喜撰法師が詠んだ「わが庵は都の辰巳しかぞすむ世を宇治山と人はいふなり」の一首は、『小倉百人一首』に選歌されて宇治の名を広く世に知らしめ、宇治茶の銘柄名としても、「喜撰」の名が用いられるようになった。

架橋当初の喜撰橋は欄干もない素朴な木造橋だったが、1953(昭和28)年の大洪水で流出後、数次の改修が施され、1968(昭和43)年にはついに、水害に強いコンクリート橋となった。

さらに、1984(昭和59)年の宇治川河川改修にともない、喜撰橋はようやく現在の構えを得たが、朱塗りの反り橋に擬宝珠(ぎぼし)や桁隠しを備えたその姿は、宇治ならではの歴史性と品格にふさわしい、情緒あふれる景観をかもし出している。

中の島で記念写真を自撮りしたい方は、後景に浮島十三重石塔を配して喜撰橋に佇(たたず)めば、納得の一枚が撮れるはずだ。

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翻译版本

渡过京阪沿线的名桥 喜撰桥 翻译时间:2018-05-14 08:26
译者:枫凌 | 译文语言:中文  | 所属分类:生活  | 审核状态:已审核 
 

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