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  • 枫凌 推荐于 2017-12-30 10:53
  • 原文语言:日文
  • 所属分类:思想
2018年のNHK大河ドラマは「西郷(せご)どん」だ。主人公の西郷隆盛は、「空前絶後の偉人」といわれる。どんな相手にも分け隔てなく接し、だれもが「西郷さん」と呼んで慕った。西南戦争を起こした「逆臣」だが、明治天皇は「西郷を殺せとはいわなかった」と涙を流したという。その魅力はどこにあったのか。作家の城島明彦氏が解説する――。(第1回、全3回)

維新150年を飾る大河ドラマにふさわしい西郷隆盛

NHKが2018(平成30)年の大河ドラマの主人公に西郷隆盛を選んだのは、納得できる。2018年は明治維新から150年という年で、それに最もふさわしい人物となれば、維新最大の功労者の西郷隆盛をおいて他にない。内村鑑三が1894(明治27)年に英語で書いた名著『代表的日本人』では、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人、西郷隆盛の5人を取り上げたが、巻頭を飾るのは西郷である。つまり、長嶋茂雄が“ミスター?ジャイアンツ”なら、西郷隆盛は“ミスター?ジャパン”なのだ。

「いや、維新最大の功労者は西郷ではなく、坂本龍馬だ」という人もいるだろう。確かに、今日の幕末維新の人気ナンバーワンは坂本龍馬だが、すでに2010(平成22)年の大河ドラマ「龍馬伝」で描かれた。龍馬は、1962(昭和37)年6月から4年間にわたって産経新聞に連載された司馬遼太郎の『龍馬がゆく』がきっかけで人気化し、「明治100年」を記念した1968(昭和43)年のNHK大河ドラマにもなったが、それ以前の国民的人気ナンバーワンは西郷隆盛だったのだ。かくいう筆者も西郷隆盛が大好きで、今般、『考証?西郷隆盛の正体』(カンゼン)を上梓した。

一方、地味好みの人は、西郷隆盛と並んで“維新の三傑”といわれている大久保利通や木戸孝允(桂小五郎)の名を維新最大の功労者として挙げるかもしれない。彼らは、政治的手腕では西郷より上だったかもしれないが、国民的人気の点では西郷に及ぶべくもない。伊藤博文や高杉晋作らの逸材を育てた吉田松陰も維新の功労者だが、2015年の大河ドラマ「花燃ゆ」で主人公の兄として描かれた。加えて、2018年は西郷隆盛の生誕190年?没後140年という節目の年でもある。

よって、明治150年の大河ドラマの主人公は西郷隆盛しかいないのだ。「西郷(せご)どん」というNHK大河ドラマのタイトルは直木賞作家林真理子の原作を流用しているが、これは西郷隆盛の地元鹿児島を始めとする九州方面に限定された愛称で、一般には馴染みが薄かったが、今回の大河ドラマによって「せごどん」も一躍全国区となり、視聴率次第では来年の流行語大賞になるかもしれない。

西郷隆盛は「江戸の功臣、明治の賊臣」

西郷隆盛とは、どんな人物だったのか。“明治天皇が最も愛した臣”の西郷隆盛は、江戸後期の1827(文政10)年に薩摩藩の下級武士の子として生まれ、1877年(明治10)年の西南戦争に敗れて51歳(数え年)で亡くなった。西郷は、栃若時代を築いた昭和の大横綱若乃花(初代)並みの巨体(長身178センチ、体重100数キロ)にして巨眼だ。「その眼でにらまれると怖かったが、慈愛を秘めた巨眼だった」と弟の西郷従道(つぐみち)たちがいっていることも、付け加えておこう。

「空前絶後の偉人」「千年に一人の巨人」と評する人もいる西郷隆盛の謎に満ちた波乱の人生を、私は大きく5つに分けている。

(1)経験を無駄にしなかった青少年期 1~25歳
(2)名君島津斉彬に見いだされて大飛躍 26~32歳
(3)「島流し」の逆境の中で自分を磨いた 33~38歳
(4)「薩摩に西郷あり」といわれた 38~41歳
(5)発想の転換で時代を切り開いた 41~51歳

西郷さんと聞いて、圧倒的多数の人がまず思い浮かべるのは、上野の銅像だろう。あるいは、年配の人の中には、銅像のイラストを使った蚊取り線香「南洲香(なんしゅうこう)」が浮かぶ人もいるかもしれない。南洲というのは、西郷隆盛の号である。いずれにせよ、あの銅像を「浴衣の裾を風になびかせながら犬を散歩させている姿」と思っている人が多いようだが、実は「ツンという愛犬を連れてウサギ狩りをしているところ」で、着ているのは浴衣ではなく、薩摩絣(かすり)と呼ばれる薩摩産の木綿布。腰に巻いているのは兵児帯(へこおび)である。犬を連れた着物姿の偉人像は極めて珍しいが、当初の案は軍服像で、皇居前への建立が計画された。だが、公家が猛反対、上野になったという経緯がある。なぜか。

西郷隆盛は「江戸の功臣、明治の賊臣」といわれてきた。江戸幕府を倒し、天皇親政による明治という新体制を樹立した最大の功臣でありながら、1877(明治10)年には自身が鹿児島に創設した私学校の生徒に担がれて「西南戦争」を起こし、賊臣となったからである。

明治天皇は、西郷自決の知らせを受けたとき、「西郷を殺せとはいわなかった」と無念の涙を流し、以後、酒が入ると決まって「西郷がいたら」「あの男が生きていたら」と話した。そういう格別な思いがあったので、1889(明治22)年に「大日本帝国憲法」が発布されると、天皇はそれを口実に西郷を西南戦争以前の「正三位」に復位させ、賊臣という汚名から解き放ったのである。以後、天皇は西郷のことをピタリと口にしなくなったという。

上野に西郷像が建てられたのは、大赦から9年後、西郷自決から21年が経過した1898(明治31)年12月18日のことになるが、結果的には、皇居前の軍服像ではなく、浴衣に間違われるような質素な姿で上野に立つ銅像像の方が、庶民派西郷隆盛には似合っている。

西郷隆盛の座右の銘は「敬天愛人」である。「天を敬い、人を愛する」という意味で、ビジネスマンにも当てはまる戒めだ。くだけた言い方をすると、「お天道様に見られても恥ずかしくない行いをせよ。どんな人にも分け隔てなく誠意をもって接すること」で、「慎独(しんどく)」という戒めに通じる。

「慎独」は、「独りを慎む」と読み、中国の古典『大学』『中庸』に出てくる教えで、ビジネスマンに最も必要な心がけの1つでもある。「誰も見ていないと思っても、天は見ている。だから、1人のときも行いを慎むこと」をいう。今日、外国人は対談中、大統領でも平気で足を組むが、日本の礼儀作法ではそういうことは禁止である。西郷さんは、家にいてもきちんと正座していたと家族の者が証言しているが、なかなかできることではない。

「命もいらず、名もいらず、金もいらぬ」といえるか!

西郷隆盛の人となりを最も鋭く評したのは坂本龍馬だ。「少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。大馬鹿にあらざれば大智者なり」という言葉はよく知られている。「相手の力量に応じた対応をする」という意味だ。龍馬自身が大物だったからこそ、初対面で西郷の人となりを鋭く見抜けた。

『考証?西郷隆盛の正体』(城島明彦著?カンゼン刊)

一方、西郷も龍馬を「度量の大たるや到底測るべからず」と評した。西郷は、高尚な話を持ち出す相手には高尚な話で対し、俗っぽい話題を好む相手には俗っぽい話題で応じた。「難しいことをいっても理解できない相手に難しいことをいうな。素人相手に難解な専門用語を並べ立てて説明する技術者は失格」ということだ。ただし、どんな相手に対しても分け隔てなく接しないといけない。地位の高い人間は、下位の相手に対して、ややもすると横柄な態度で接しがちだが、西郷はそういうことはしなかった。どんな相手に対しても、西郷は誠意ある態度で接したと多くの者が証言している。

内村鑑三は、「完全な自己否定(「克己」と同義)が西郷の勇気の秘密であった」と論じ、その証拠として『南洲翁遺訓』に出てくる有名な次の言葉を挙げている。

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」

官位を「地位」に、国家を「会社」に変えると、ビジネスマンの心得となる。現代の「命もいらず、名もいらず、金もいらず」は、そういう気構えを持てという意味に解釈すべきだろう。

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