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原文

  • 枫凌 推荐于 2017-11-11 19:12
  • 原文语言:日文
  • 所属分类:职场
人間は同調圧力に屈しやすい。「同じ長さの線を選ぶ」という簡単な問題でも、サクラ役がまちがった線を選ぶと、被験者も高い確率で同調してしまうという。しかしサクラ役に一人でも正解を選ぶ人がいれば誤答率は劇的に下がる。「理性を使う勇気」があれば、同調圧力は弱められるのだ――。

理性はゆっくりとしか働かない

この連載では、私たちはどのようにして「認知バイアス」のわなを克服できるかということを考えてきた。認知バイアスの多くは、直感的な判断や思考が大きく関わっている。私たちの直感は、さまざまな事象をパターンとして捉えるため、パターンからはみ出る例外的な要素を無視する傾向が強い。そのため、直感ばかりに頼ると、自分の思い込みや偏見はますます強化されてしまうのだ。

そのストッパー役となるのが、理性的な思考だ。スピーディーな判断を得意とする直感は、「もしかしたら、自分が間違っているのでは?」と立ち止まって考えるのが苦手だ。そりゃそうだろう。エサを目の前にした動物は「これは食べられるかどうか?」などと考えたりはしない。自分の非や過ちを認めるには、理性的な思考を働かせることが必要なのだ。

ところが困ったことに、人間の理性的な思考は、直感に比べてゆっくりとしか働かない。直感的な思考を「オートモード」、理性的な思考を「マニュアルモード」と呼ぶ論者もいるように、理性を働かせるには手間がかかる。そのため個人の独力では、認知バイアスの克服にも限界がある。

直感的判断の頑強さを知るために、次のようなゲームを考えてもらいたい。出題側は、3つの自然数を並べる規則を考えておき、回答者がその規則を推理するというものだ。

「確証バイアス」を克服する難しさ

具体的には次のようなやりとりをする。

【1】最初に、出題者が自分の規則に当てはまる3つの自然数の列を言う。
【2】それをヒントとして、回答者は規則を推理し、推理が正しいかどうかを確かめるために、3つの数字を言う。
【3】出題者は、回答者の示した数字の列が自分の考えていた規則に当てはまっていたらイエスといい、間違っていたらノーという。
【4】これを何度か繰り返し、回答者は自信が持てたところで最終的な回答をする。

このゲームを始めると、多くの場合、次のようなやりとりになる。

出題者:「2、4、6」は、私の規則に当てはまっています。
回答者:「4、6、8」は、あなたの規則に当てはまっていますか?
出題者:イエス
回答者:「12、14、16」は、あなたの規則に当てはまっていますか?
出題者:イエス
回答者:「108、110、112」は、あなたの規則に当てはまっていますか?
出題者:イエス
回答者:分かりました! 答えは「順番に並んだ偶数の列」でしょう?
出題者:残念! それは不正解です。正解は「異なる数字の列」でした。

このやりとりでは、回答者は自分が推理した「順番に並んだ偶数の列」に当てはまる例ばかりを質問している。だが、それでは何度質問しても正解にはたどりつけない。正解にたどりつくためには、次のように、推理した規則に当てはまらない「反証例」も質問しなければならないのだ。

出題者:「2、4、6」は、私の規則に当てはまっています。
回答者:(推理:順番に並んだ偶数の列かな?)「1、3、5」は、あなたの規則に当てはまっていますか?
出題者:イエス
回答者:(差が2になる数列かな?)「15、18、30」は、あなたの規則に当てはまっていますか?
出題者:イエス
回答者:(単に数が大きくなるだけの数列かな?)「75、8、36」は、あなたの規則に当てはまっていますか?
出題者:イエス

といった具合に、自分の推理とは異なる例を繰り返し質問することで推理を修正できるかどうかが、このゲームの最大のポイントになる。だが多くの人は、自分の推理に当てはまる例だけを質問してしまう。なぜか。直感の働きによる「確証バイアス」にとらわれてしまっているからだ。

私たちは、「きっとこうに違いない」という推理や仮説を確かめようとすると、それに当てはまる例ばかりを見つけようとしてしまう。「自分は間違っているかもしれない」と理性的に考える難しさがわかってもらえただろうか。

こうした認知バイアスを克服するためには、誤りを正してくれる他者の存在が欠かせない。だが話し合いや議論もまた、バイアスのわなが待ち受けている。空気を読み合うような話し合いや議論は、バイアスを増幅させてしまうからだ。

それを防ぐためには、空気を読まずにものを言える場を確保しなければならない。その具体例として紹介したのが、前々回のピクサーの会議や、前回の哲学対話だった。

ただ、そんな理想的な対話の場を持っている集団は、どう見ても少数派だろう。だからこそ、ピクサーの試みや哲学対話が注目されているのだ。

自分の理性を使う勇気をもて

では、そういった議論や対話の場がなければ、理性的な思考は無力なのだろうか。空気に流される会議では、空気を読まない批判的意見はただ埋没してしまうだけなのか。

そんなことはない。ここで以前紹介した「同調実験」(http://president.jp/articles/-/22565)を思い出してもらいたい。同じ長さの線を選ぶというバカバカしいほど簡単な問題でも、サクラ役がまちがった線を選ぶと、被験者も高い確率で同調してしまう。この実験は、人間がいかに同調圧力に屈しやすい生き物かを示している。

しかしこの実験には、以前には触れなかったもうひとつの結果がある。それは、サクラ役のなかに一人でも正解を選ぶ人がいると、被験者の誤答率は劇的に下がるということだ。つまり、たった一人の勇気ある発言は、場の空気をくつがえす力を持ちうるのだ。

勇気を持って理性を使うこと――それはまた、哲学者カントのいう「啓蒙」の定義でもあった。「啓蒙とは何か」というカントの小論は、次のような有名な一節から始まる。

<啓蒙とは何か。それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜けでることだ。未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないということである。人間が未成年の状態にあるのは、理性がないからではなく、他人の指示を仰がないと、自分の理性を使う決意も勇気ももてないからなのだ。だから人間はみずからの責任において、未成年の状態にとどまっていることになる。こうして啓蒙の標語とでもいうものがあるとすれば、それは「知る勇気をもて」だ。すなわち「自分の理性を使う勇気をもて」ということだ>(『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編』中山元訳、光文社古典新訳文庫)

カントのいう「未成年の状態」とは、バイアスまみれの状態と解釈するとわかりやすい。現代ではあまり評判のよろしくない「啓蒙」という言葉も、その初志はバイアスの闇から脱することにあったはずだ。

だが、勇気をもって理性を使うためには、理性の長所と短所をよくわきまえないといけない。理性の欠如も困りものだが、過信も禁物だ。次回からは、理性の適切な活用についてより詳細に考えてみたい。

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