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  • 枫凌 推荐于 2015-09-10 12:56
  • 原文语言:日文
  • 所属分类:生活
此原文由 旅游 推荐

変転の歴史を経て
まさに適地に端座する三重塔

 

日本における仏塔建立は6世紀の飛鳥(あすか)時代に始まり、蘇我馬子(そがのうまこ)の造営による飛鳥寺の五重塔が、その最初だと考えられている。以来、日本各地に多数の仏塔が築かれ、いまも過半が現存するが、それらの塔は、「建立の地から動ぜぬ塔」と「変転を経て現在地に収まった塔」とに、大別できる。その後者の代表格とも言えるのが、三室戸寺の三重塔だ。

 

京都有数の「花寺」で、紅葉の名所としても知られる三室戸寺は、宝亀(ほうき)年間(700~781年)の開創と伝えられる古刹(こさつ)で、西国三十三所観音霊場の、第10番札所(ふだしょ)でもある。

 

宇治市の明星山(みょうじょうざん)の山腹を寺域とする三室戸寺には、趣向を凝らした5千坪もの回遊式大庭園が広がり、2万株を擁する「つつじ園」や、1万株を配した「あじさい園」などが、関西屈指の規模と美しさで、参詣者を迎えてくれる。加えて、平安時代に西行法師(さいぎょうほうし)が、「暮はつる 秋のかたみにしばしみん紅葉ちらす三室戸の山」と詠み、江戸時代には「宇治十二景」の一つ(三室戸の紅楓<こうふう>)にも数えられたほどの紅葉が、いまも変わることのない濃密さで、秋の風情を醸し出す。

 

本山修験(しゅげん)宗の別格本山である三室戸寺は、寛正年間(1460~1466年)の火災で伽藍(がらん)を焼失。再興が果たされた後の1573(天正元)年にも、織田信長の焼き討ちにあっているため、現在の本堂や阿弥陀堂、鐘楼(しょうろう)は、江戸時代になってから建立されたもの。

三重塔も同じ江戸期の作だが、この塔はかつて、播磨国(はりまのくに)(兵庫県佐用郡三日月町<さようぐんみかづきちょう>)の高蔵寺(こうぞうじ)に立っていた。高蔵寺は725(神亀<じんき>2)年の創建とされるが、近世に三日月藩主?森家の菩提寺となった後、初代藩主の森長俊が1704(元禄17)年に、この塔を建立した。

 

しかし、明治維新後に藩主が領地を去り、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の波に直撃されるようになると、高蔵寺も例に漏れず資金難に直面。苦境を脱するために、三重塔も売却されることとなった。それを買い受けたのが、三室戸寺であった。

 

高さ16メートルの三重塔は、こうして1910(明治43)年に三室戸寺の参道西側に移築され、さらに1977(昭和52)年ごろ、鐘楼の東隣の現在地へと移された。同時に修復も施されたが、これ以上ないほどの適地に端座(たんざ)する三重塔を眺めていると、そうした変転の歴史が、にわかに信じがたく思えてくる。

 

各層の逓減率(ていげんりつ)が低く(つまり上下の屋根の大きさがそれほど変わらない)、軒が浅く、相輪(そうりん)が比較的短い等、江戸時代ならではの特徴を備えたこの三重塔は、眺める位置によっても実に多様に、その印象を変化させる。

 

ごく普通のアプローチで、本堂から阿弥陀堂、鐘楼の前を抜けて正面に見据える三重塔も、端正で魅力的だが、私は何より、谷を挟んだ東側斜面から眺めた三重塔が、大好きだ。

 

一切の装飾も権威も排し、ただただ質実の極みの如(ごと)くにたたずむその姿が、四季の移ろいと見事に融合し、何か根源的な、仏塔本来のありがたさを感じさせてくれるから。

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翻译版本

京阪沿线的塔:三室户寺 三重塔 翻译时间:2015-09-10 19:02
译者:枫凌 | 译文语言:中文  | 所属分类:自然  | 审核状态:已审核 
 

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