翰文名人 专家一览 点评达人 翰文之星 原文库 译文库 全部项目 翰文网事 译者培养招募 年度奖励计划
"输出型"翻译学习的倡导者 每个人都可以成为翻译家!

原文

  • 刘婷 推荐于 2015-07-20 10:06
  • 原文语言:日文
  • 所属分类:社会
此原文由 社会万華鏡 推荐
縄文人は南方起源ではなく、「弥生人顔」も存在しない──。人々の生身の姿を復元する「身体史観」を提唱する。『骨が語る日本人の歴史』を著した片山一道氏に話を聞いた。
──日本人の?基層?をなす、縄文人は南方から来たのではないのですか。

南方起源説は沖縄の「港川(みなとがわ)人」化石を代表選手のようにして、つい最近まで定説のように考えられてきた。ところが、実際は広く東アジアの大陸部から集まってきて、その人々が混和融合したようだ。縄文以前、旧石器時代人の化石の本州域での発見例は皆無に近い。良好な人骨化石が発見されないかぎり、具体的な人物像を描くに至らない。

古人骨は日本の歴史を何でも知っている

──日本史は「日本人の歴史」ではない?

日本史として教えられているものは、日本の文化と社会の歴史なのだ。それは似て非なるもの。歴史だから当然人間が主人公のはずが、生身の日本人あるいは日本列島人の実像は教科書などにろくに出ていない。

縄文人はどういう人かと学生に質問すると、その答えにがっかりする。縄文土器を作って、狩猟採集の生活をしていたとかはよく知っている。どんな顔で、体の特徴はと聞くと、同じ日本列島に住んでいた祖先であるのに答えられない。多くの人は縄文人を現代人と同じように思っている。弥生時代の人物像も同様かもしれない。だが、実は全然違う。

──身長も低いのですね。

縄文人の素顔を探れる古人骨資料には事欠かない。各地で発掘された1万人規模に上る人骨があり、後の人々と比べると、ともかく異形の人々だった。骨格が全体に骨太で頑丈であり、ことに下肢の走行筋や咀嚼(そしゃく)筋などの筋肉群の付着部がよく発達していることは特筆に値する。頭骨はさながら鬼瓦の風情だ。

平均身長は成人男性で158センチメートルほど、女性は145センチメートル程度しかなかった。今の中学生ほどの身長だ。ただ、驚くには当たらない。おおむね江戸時代の町民の身長と同じなのだ。

──日本人の歴史では男性の平均身長は160センチメートル内外だった、とあります。

そう。現代日本人の高身長は型破りもいいところだ。中世から近世にかけて低身長化に向けて緩やかな推移はあったが、1940年代ごろまで1000年以上にわたって、日本人の身長に大きな変化はなかった。ここ70年で逆噴射するように高まり、近年に至って劇的に高身長化した。グラフ化してみると40年代末ごろから伸びてくる。たとえば男性平均ならば、160センチメートル前後だったものが171.8センチメートルに急伸している。成人女性の場合は、成人男性より平均身長がほぼ8%低いのが歴史的通例だ。

人間の身体的特徴は歴史性を有する

──それは身体史観で例証されている?


片山一道(かたやま かずみち)?1945年広島県生まれ。専門は先史人類学、骨考古学。理学博士。京都大学農林生物学科を卒業。京大大学院修士課程修了。京大霊長類研究所教授、京大大学院理学研究科教授などを歴任。著書に『骨考古学と身体史観』『古人骨は生きている』『海のモンゴロイド』『縄文人と「弥生人」』など。
身体史観は人類学のプロとしての方法論に基づく。人間の身体特徴はその時々にたまさかのものではない。歴史性、時代性を有する。過去何千年か、ひょっとしたら何万年か、あるいは人類というスパンで見ていけば何百万年かの時間が圧縮されている。その圧縮されたものを読み解いていくことによって、人間の歴史の流れを解読する。

要するに、身体史観とは体に聞こうというものだ。となると、古い時代となれば、残された骨に聞くことになる。骨は考古学の遺跡からけっこう出土する。縄文時代のものも貝塚遺跡から芳しい形で出ている。ことに古代の人々の顔立ち、体形など身体特徴を知るにはそれしか方法はない。

人骨がよく残った状態で発見されれば、現代科学において復元が可能でいろいろなことがわかる。それを切り口にして、歴史の主人公たる日本列島人、つまり日本人に話をさせる。日本の歴史を聞いてみようではないか、ということになる。

──その到達点をこの本に込めたのですね。

われわれからすれば常識的な到達点。たとえば縄文時代の人骨が出てくれば、あなたは身長何センチメートル、顔立ち、目、歯はどうで、耳の形はわからないが、頭の格好はわかる。科学的な常識として体形、腕や脚の長さも骨に尋ねうる。立体的な再現性もある。だが、そこまでできる時代になったのに、各種の教科書にはほとんど反映されていない。

依然として、縄文時代となると土偶。古墳時代ならはにわ。こういうものから人物の実像を想像してほしい、となる。話は飛ぶが、時代が下って、源頼朝や織田信長の肖像画と伝えられるものが教科書に出てくるが、それらも実像から離れている。科学の世界、特に人類学や医学をもっと尊重すればそうはならないはずだ。

──身体特徴の変化の要因は?

人間に限らないが、動物は環境変動、生活習慣によって身体特徴がいとも簡単に変わってくる。特に、私の子供の世代から、日本人としては有史以来の「変な人々」になった。

解明されていない絶壁頭への変化理由

──変化は身長だけではありませんね。

顔立ちは、横顔の彫りの深さ、あごのきゃしゃさ加減が骨からわかる。今は小顔なうえに才槌(さいづち)頭から絶壁頭に変化している。中世から江戸、明治の初めまでは才槌頭で、後ろがぴょこっと出ていた。前後が長いから上から見るとラグビーボールのような頭だったが、今の人はサッカーボールみたいなシルエットパターンになっている。

あごは特に江戸時代の頃から小さくなる。同時に虫歯が急激に増え、現代では減っている。小さいあごが単調増加したのは食べ物の影響。頭の変化は決定的理由がわからない。

──通婚圏の変化もある?

今は地域が限定されない。大正や昭和の前半までは、都会の人を除くと、通婚圏は基本的には村と郡ぐらいの単位であり、狭い。これは人間だけというより動物一般の法則なのだが、通婚圏が広くなると体が大きくなる。また、子供の数が多くなる。人間もその範疇の中で考えることができる。

──江戸時代は身長が低くなる傾向で、人口も増えなかったとも。


書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします
ことに戦国時代から江戸時代は、通婚圏の限定が大きな要素となっていたのではないか。封建制社会は通婚圏をたいへん狭くさせる。例外もほとんどありえなかった。社会制度、政治制度がそうさせ、身長が低くなったのに関係しているのだろう。

人口は江戸時代の初めは増えた。だが、上方などの裕福な商人などを除けば、武士でも豊かだったとはいえない。閉塞的な社会だった。

──教科書を書き直さないと。

古人骨は生き方、死に様まで語ってくれる。身体史観は日本人の歴史の社会、政治状況の理解に大きなヒントを提供できると思っている。

本文已经有人翻译了

翻译版本

为何日本人突然成了扁脑勺? 翻译时间:2017-04-25 09:58
译者:潘琳 | 译文语言:中文  | 所属分类:科学  | 审核状态:已审核 
 

关于我们|招聘英才|本站声明|隐私权保护规则|帮助中心|翰译欣翻译

Copyright@ 2013 www.cnposts.com 京ICP备09086341号 京公网安备110107000042

本站保留所有权利未经许可不得转载 本站刊载的所有文章仅代表作者(译者)本人观点 不代表本站立场

"输出型"翻译学习的倡导者---每个人都可以成为翻译家

北京翰译欣翻译有限公司 | Email: info#cnposts.com

我要啦免费统计 技术支持:汉虎网 合作译者群:QQ199194583